2006年10月31日
「義務教育課程において学ばせたい「放射線教育」の内容についての提案」
(要望書「エネルギー・環境教育の充実のための学習指導要領の改善について」
(平成17年8月15日提出)に関する補足資料)
NPO法人放射線教育フォ−ラム
1.まえがき
われわれは1年前に「エネルギー・環境教育の充実のための学習指導要領の改善について」という要望書を文部科学省(初等中等教育局)に提出した(1)。その際、担当官から、要望書の趣旨は理解したので、次回には、この要望の趣旨を現行の学習指導要領(2,3,4)のもとで(すこし修正する形で)進めるための教育内容について、児童・生徒の発達段階に応じてどの段階でどのような教育を行うべきかについて具体的な資料を提出することが求められた。
その後、本年秋から、中学校(及び小学校)の教育課程に関して、特に理科について、内容の検討が始まることが伝えられた。以下において、昨年提案した諸項目のうち、標記のように、義務教育課程(小学校及び中学校)において、特に放射線に関して、教室での授業及び実習によって学ぶことの必要性とその内容について述べる。
2.放射線に関する教育の必要性
これは必ずしも日本人のみに限るのではないが、社会一般の人々は、放射線のわずかな被曝や少量の放射能を重大なものとして考える。しかし、人類は太古の昔から自然放射線を被曝している。自然放射線は宇宙線や、地殻に存在する天然放射性同位体から放出されている。さらにX線診断のような人工的な放射線や放射性同位体の利用による被曝も受けている。
日本人に「放射線」・「放射能」(以下放射線等と省略する)を強烈に印象付けたのは、第二次大戦の終結時に広島と長崎の市民が悲惨な経験をさせられた原爆の投下である。その後には、水爆実験の犠牲となったマグロ漁船の第5福竜丸乗務員の被曝であった。さらに近年では、1986年のチェルノブイリ原発事故や1999年に発生したJCO事故である。
しかし、X線をはじめとする放射線等は現代の医療利用において、さまざまな疾患の診断や治療には欠くことのできない技術となっている。1997年度における日本での放射線利用による経済的規模の総額は、8兆6千億円(GDPの1.7%)となっており、このうち工業利用が7兆3千億円で大半を占め、医療利用は約1兆円である。工業利用の73%は半導体加工で群を抜いている(5,6,7)。
人々の中にはラジウム温泉などの放射能泉を自然の恩恵として有難く感じる人も少なくないが、日本と外国人を問わず、大多数の一般的な意識としては、放射線・放射能は危険で恐ろしいもので、少量でも後になってがんの発生や遺伝的な影響を引き起こすという思い込みを根強く持っている。しかし、この二つの「晩発的影響」のうち、後者については、原爆の被災者のデータから遺伝的影響は全く現れていないので、400ミリシーベルト程度(現在日本人が年間に自然放射線その他から被ばくしている量の約200倍)までの被ばくであれば、事実として心配する必要がないということが専門家の意見として確立されている(8,9,10)。また、前者の、がんや白血病の発症については、現在の放射線防護の考え方は「受けた放射線量に比例してリスクがある」とする仮定(いわゆるLNT仮説)に従って厳しい法規ができていて、これも国民の放射線を怖がる傾向を助長している。ところが事実は、最近の動物実験や英国の放射線医師や航空線パイロットに関する疫学的研究などから、年間数ミリシーベルト程度の低線量・低線量率の放射線は刺激となって生体に有益であるとの考え方もあり(11)、少なくとも200ミリシーベルト程度までは影響がないらしいとする考え方が徐々に専門家の間で広まりつつある。
日本のエネルギー問題の解決には原子力の役割を重視せねばならないが、原子力の社会受容のためには、「エネルギー教育」をもっと進めるとともに(12)、大多数の日本人が持っている、放射線等に対する科学的事実に基づかない不安や恐怖心を取り除かねばならない。そのためには、義務教育のときから放射線・放射能などについて正しい教育をする必要がある。
3.小学校・中学校の教科書における放射線等の記述(イタリック体は原文の引用)
小学校の社会の教科書では、6年生の歴史的分野で、第二次世界大戦終結の際の原爆の投下を現行の教科書8点すべてが取り上げている。そのほとんどにおいて、原爆投下後廃墟となった広島や長崎の写真などとともに、例えば、「原爆は、人類がこれまで経験したことのない悲惨な被害を引きおこしました。いっしゅんのうちに建物は破壊され、数週間のうちに、両市を合わせて約21万人の人々がなくなりました。」(大阪書籍)、「・・・放射能をあびて、今なお苦しんでいる人が多い」(日本文教出版)のように、原爆の悲惨さが記述されている。しかし小学校の理科の教科書では、放射線や放射能に関して何も触れられていない。恐らく一般社会人と同様な放射線等に対する意識をもつ先生の説明から、当然ながら子供たちには放射線等は怖いものという科学的事実に基づかない意識をこの時代の教育において受けることになる。
中学校の社会(歴史)の最近の8冊の教科書について調査した結果では、「日本の敗戦」に関して、ポツダム宣言とかソ連の参戦などのキーワードが加わっているが、原爆投下の際の状況については、街の廃墟やキノコ雲、あるいは「原爆の図」の写真とともにその惨状を小学校の教科書と全く同様に記述しているものが半数以上である。1954年3月の水爆実験による第五福竜丸の被曝を取り上げているものもある。
一方、中学校の理科「第一分野」の教科書では、学習指導要領の指示のもとに、「科学技術と人間」、「エネルギー資源」の大きな項目の中で原子力発電の長所・短所が水力・火力発電と対比されて記述されている。ところが、原子力と関連の深い放射線に関しては、理科の教科書(平成14年度から使用)でも、自然放射線の存在や放射線の利用に関する記述が以前より少なくなっている(13)。「地理」の教科書でもエネルギー資源に関連して原子力に関する記述が比較的に多い。中学社会(公民的分野)では「世界平和と人類の福祉の増大」の項目で、「日本国の平和主義」「核兵器に脅威」「地球環境・資源エネルギー問題など」について考えさせることになっている。ここでも原爆の被害とともに、資源・エネルギー問題における原子力発電の役割が取り扱われているが、1986年に起こった旧ソ連のチェルノブイリ原発事故やそのほかの原子力事故が取り上げられることが多い。その際、「放射能は、あらゆる生物にとって、その生存をおびやかすような影響をあたえる。」(教育出版、平成14年地理)、「原子炉の事故が発生したとき、原子力の宿命である放射線が人体や環境に大きな影響をあたえる。」(日本書籍新社、平成14年地理)、という風に、中学の理科以外の科目で原爆や原子力発電所の事故による放射線の影響の恐怖や放射性廃棄物の危険性が強調される反面、理科で放射線・放射能の正しい知識を与えることをしていない。ただし、昨年4月に公表された、平成18年度より使用予定のほとんどの出版社の(中学公民科)教科書に対する検定結果において、種々のエネルギー源の比較で原子力発電が利点に比べてその危険性や問題点が強調されている一方で、自然エネルギーについては普及のために克服すべき課題が記述されていない点で改善が指示されるなど、適切な指導がされていることは評価に値する。
4.学校教育における放射線関係の知識を形成する上での問題点
以上に述べたように、わが国における現代の若者たちが放射線等を初めて知る機会は、小学校6年の社会(歴史)の教科書に記載されている原爆の被爆による記述が最も大きい。中学校教科書の記述でも、漠然と放射線・放射能は人体に有害なものだとの観念を植え付けるだけで、その本質、人体への影響及びその利用に関する授業が殆どされていない。高等学校教科書では、「理科総合A」や3年後期の物理の教科書で、放射線等に関して比較的に正しくとりあげられているが、前者はせっかく良い教材ができているのに、実際はこの科目の代わりに入試目当ての授業がされていることが多いと聞いている。また、物理は生徒に敬遠されがちで履修率は20%以下となっているので、国民すべてに放射線等の正しい知識を与えることができるのは小・中の義務教育課程でしかない。ところが現在の教育システムでは、子供たちの知識が形成される過程において、前述のように放射線等に対するマイナスのインパクトが強烈であり、またその後、正しい知識の注入がほとんどされないので、小学校・中学校での既成概念によってマイナスのイメージが強く持続する結果になっている(6)。
高等学校ではエネルギーの問題が重要なテーマとして取り上げられており、デイベート形式の両論併記の議論も教科書ではされているが、原子力の価値判断に対して重要な関連を有する放射線等の知識が小・中学校において不十分である現状は改善する必要がある。とくに、身の回りに少量の自然放射線が存在する事実を義務教育課程において常識として知ることは極めて重要である(14)。
5.今回の提案――義務教育(小学校・中学校)において取り扱うべき放射線関係の内容
(小学校では)
放射線に関するごく基本的な知識は、「理科」において、光や音、あるいは電波について教えるときに、「目には見えない実体の一つとして」紫外線や赤外線と同時に自然放射線が存在することを教えるべきである。さらに、できれば児童自身がその存在を観察するような実習がおこなわれることが望ましい。「理科」、あるいは「家庭科」において、あるいは「総合的な学習の時間」において積極的に実施しようとする教師については、そのような目的に添う適切な教材が用意されている。(15,16)
(中学校理科)
(教室での授業で)放射線に関する基礎・基本的な内容として、放射線・放射能の基本的知識、並びに自然放射線、放射線による人体影響、及び放射線利用の基本的知識を扱うべきである。
放射線・放射能の基本的知識については、原子構造の理解をベースとした放射線・放射能の本質、ウラン・ラジウムなどの放射性元素、放射能の半減期、原子核の分裂、放射線の種類と性質、放射線・放射能の数量的単位を含める。自然放射線については、それが大昔から環境に存在していること、その発生源はなにか、それがどの程度の量であるか、などの内容を含める。放射線による人体影響については、放射線の発生源が天然か人工的かの差はないこと、人体が受けるとどのような影響が出るか、大量に受けたときと少量受けたときとどう違うか、また、放射線がその場にあるとき、受ける放射線の量を軽減するにはどうすればよいか、などの内容を含める。放射線利用については、医療、産業、農業、及び学術分野でどのように利用されているか、利用において放射線のどのような性質が利用されているのか、などの内容を含める。
これらに関して、以下に述べる放射線の実習を含めて、種々の良い教育資料が出版されている(17,18,19,20,21,22,23)。また、「付録」として、ある委員会の報告書にあった、放射線と放射能に関する小・中学生への説明文(案)に少し手を加えた文案を添付する(24)。
(理科の実習で)身の回りに自然放射線が存在していることを実感する経験を積むことは放射線教育にとり必須である。それには、@「はかるくん」、A「霧箱」、B「GM計数管」という3つの計測方法がある。これらにはそれぞれ特徴があるが、学校教育では、生徒の発達段階に応じて適切と思われる少なくとも1種の計測器を利用して行うことが望ましい。これらの計測器は、市販もされているが、手作りも可能であるものもある(25)。
放射線の実習については、すでに教育支援事業交付金を活用した事業により、全国各地でその実績が上がっているところである(26)。もしこの提案(義務教育課程において放射線実習をおこなわせること)が採用されれば、教育支援事業交付金の制度を更に拡大させて、小・中学校のすべての学校に放射線計測器を備えることができるようにしていただきたい。
6.「原爆」に関する教育について――小学校社会科、中学校社会科等において、原爆について児童・生徒に教えるときに、教師に知っておいてもらいたい事実
(1)原爆投下直後の惨状について、教科書で、前述のような「原子爆弾(原爆)が投下され、いっしゅんにして数万人もの人々がなくなりました。・・・」(光村図書、社会6年上巻)(東京書籍、同)の記述があるが、これは正確ではない。一瞬に大勢の人が死亡するわけではない。「両市とも、数千度の高熱と猛烈な爆風を受けて一瞬のうちに壊滅し、大量の放射線をあびました。犠牲者は、数週間のうちに、広島で14万人、長崎で7万人に達しました。」(大阪書籍、中学社会歴史的分野)のほうが正しい。被爆者は、文字通り筆舌に絶するような、「それは生きながらの「地獄」といったらよいのだろうか、・・・」(清水書院、新中学歴史、長田新「原爆の子」からの引用)という、非戦闘員である大勢の一般市民が、戦争とはいえ、世界の歴史で始めて、非人道的な兵器の犠牲になった、という事実を、教科書は科学的にできるだけ正確に記述すべきであり、教師も生存者の口述で始めて知るのではなく、充分に認識すべきである。
(2) その半面において、原爆の被害を大きく伝えたいとの意図は理解できなくもないが、「この残虐な兵器により、被爆者は、今なお放射線による障害に苦しみ、犠牲者は増え続けています。」(大阪書籍、中学社会)という記述が教科書や新聞報道などによく見られる(チェルノブイリ事故の報道についても同様である)。原爆の被爆者が、幸い死亡を免れても社会的にも苦労をされ、現在も健康に不安をもって生きておられることは事実であり、同情に値する。しかし、原爆投下後数十年を経た現在、生存しておられる被爆者と一般の方との健康状態を客観的に比較すると、確かにがんによる死亡率は被爆者が高いが、がん以外の死亡率や全死亡率が被爆者のほうが有意に低くて、被爆者のほうが長命であるらしいことが長崎大学その他の研究で明らかになっている(27)。この理由は、国の被爆者援護の制度で被曝者の健康管理が行き届いていることなどがある。問題は、一度健康に悪影響がある、と思い込み、またそのような情報を絶えず注入されると、そのことによる心理的効果が実際に健康に悪影響を与えることである。このことは、チェルノブイリの周辺の住民や事故の後始末に従事した人々について報告されている。被爆者の苦痛を少しでも緩和してあげるためには、放射線の影響に関する間違った情報をマスメデイアが報道し、学校でそのように教えることは、早く改善する必要がある。これは文部科学省への要望というより、国の行政への要望である。
(3) 放射線・放射能・原子力ついての客観的・科学的事実を、タブーにせず、例えば原子力の軍事利用と平和利用に関して、同じく原子核分裂の連鎖反応でありながらどこが違うのかなどについて正しく教えるべきである。原爆の構造などに関するごく基本的な知識、たとえば、ウラン爆弾とプルトニウム爆弾の種類があること、原爆では連鎖反応を速中性子により短時間の間に起こさせるのに対し、原子力発電では熱中性子を用いてエネルギーを少しずつ発生させていること、など。また、原爆の被害はすべて放射線によると考えている人がいるが、放出されたエネルギーは爆風と熱線によるものがそれぞれ50%、35%であり、残りの15%が放射線のエネルギーであることを知らねばならない。
(4) 戦後60年経過したのに、日本からの「核廃絶」への願いも空しく、原爆を持とうとする国が後を絶たない。このことをどのように生徒に説明するか、教師は自分の考えを持たねばならない。上記の「原爆の子」の手記でも(清水書院、中学校社会)も「・・・最後にいいたいと思うことは、「戦争とは何か」「平和とは何か」「平和を守るのに、なぜあの恐ろしい原子爆弾がいるのか。」と問いかけている。今回の北朝鮮の核実験に関して、日本の総理大臣は日本は核武装をしないと明言している。
(5) しかし、あってはならないことではあるが、万一、放射性物質がテロリストによって撒き散らされるようなことが起きた場合に、社会的パニックを防ぐためには、「放射線・放射能を正しく怖がる」ための実際的な知識を日本国民が常識として持っていることが必要である。それと同時に、原子力の平和利用を世界的に指導的立場で完遂しようという、確固たる信念と専門的技術をもつ若い人々を育てることが必要ではないかと思う。
(6) 一般に放射線・放射能について、またその人体への影響について、すでに紹介したが、わかりやすく書かれた著作が出版されているので、一部をここに記載する(27,28,29,30,31)。
文献
1. 要望書「エネルギー・環境教育の充実のための学習指導要領の改善について」、平成17年8月15日、NPO法人放射線教育フォーラム
2.中学校学習指導要領、平成10年12月
3.中学校学習指導要領(平成10年12月)解説―理科編―
4.中学校学習指導要領(平成10年12月)解説―社会編―
5.「放射線利用の経済的規模」、http://mext-atm.jst.go.jp/atomica/08010406_1.html
6.「放射線に対する意識と学校教育の影響」、西谷源展、日本放射線技術学会雑誌、第60巻、第11号、1555−1563 (2004年11月)
7.「知っていますか? 放射線の利用」、岩崎民子著、丸善、平成15年7月
8.「放射線はどこまで危険か」、菅原 努監修、マグブロス出版、昭和57年6月
9.「人は放射線になぜ弱いか―少しの放射線は心配無用」、近藤宗平著、講談社、1998年
10.「放射線と健康」、舘野之男著、岩波新書、2001年
11.「低線量放射線の健康影響」、近藤宗平、Proceedings of Third International
Symposium on Radiation Education, JAERI-Conf 2005-001, 175-182, 2005
12.「エネルギー情報研究会 中間とりまとめ」、平成18年6月
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